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2020年 11月 26日 【私のターニングポイント~高校野球が受験を変えた~】小川祥汰
こんにちは。またまた先週に引き続きの登場です、慶應義塾大学経済学部4年の小川祥汰です。
今日からのブログのテーマは「私のターニングポイント」です。
受験のターニングポイントを挙げてくれる担任助手もいれば、はたまたそれ以外のターニングポイントを挙げてくれる担任助手もいるのではないかと思います。
本日は、私の「人生におけるターニングポイント」をお話ししたいと思います。
ところで、まず私がどんなことをしてきた人間かの紹介を簡単にさせていただきますと、
大学では体育会準硬式野球部で学生コーチとして4年間活動していました。
例えば練習メニューを決定したりとか、試合のメンバーを監督に提案したりとか、一方で選手とコミュニケーションを取ったりとか、
チームを強くする、いわば幹部の立場でチームに携わっていました。
また、東京六大学準硬式野球連盟というところで学生委員長もしていました。
さらには慶應の体育会にあるリーダー養成講座を開講しているところで学生講師もしています。
一方で、東進の担任助手は大学に入ってからずっと勤めています。
今は就活支援団体でメンターをしていたりします。
(勉強もしています。)
このように、私は大学生活は非常に頑張ってきましたし、今も頑張っています。
しかし大学以前の私はどうだったかというと、至って普通の高校生。
むしろ取柄の何もない自分に対し、強いコンプレックスを抱いていました。
では、そんな平凡な高校生が大学でここまで色んなことに挑戦できるようになったのはなぜなのか。
そのターニングポイントは、
高校野球を引退した日に監督が私たちに向けて放った「申し訳なかった」という一言です。
負けた要因を一切学生に帰せず、全ては自分の責任だと言い切る姿に胸打たれました。
情けない話、その時に初めて監督がこのチームを支えて創ってくれていたということに気づきました。
それと同時に、人に尽くせて人に影響を与えられる、こんな監督のような人間になりたいと強烈に感じました。
このことを機に、高校の卒業論文では「頼れる人」というタイトルで決意表明をし、
大学に入ってからは、人に影響を与える機会を自分で掴み取りに行き、そして鬼のように努力しました。
何なら、大学受験を頑張るモチベ―ションも、「頼れる人」になるためだったように思います。
高校の時の自分からすれば、「頼れる人」になることなど空想の世界の話でしかありませんでした。
今すごい人間になれているかときかれれば疑問符がたちますが、それでも昔よりだいぶ成長出来たのではないかと思います。
私が大学受験、それから大学に入ってからも不断の努力を継続出来たのは、
「強烈な感情を言葉にしたから」
だと思っています。
自分の理想としている姿を言葉にしてみるのはモチベーションを上げるには有効な手段かもしれません。
東進の合格設計図作成システムでは、自分の「志作文」を作成することが出来ます。
気が向いたら、自分の志を言語化してみてください。
担任助手4年 小川祥汰